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【場面緘黙症】初めて教室(原級)で話せるようになりました!

children

こんにちは☺

タイトルにもある通り、3歳後半から場面緘黙症の小4娘が初めて教室(原級)で話せるようになりました!

昨年から支援級の少人数の中では話せるようになっていましたが、こんなに大人数の中で話せるようになったのは、3歳後半で場面緘黙症になって以来5年以上ぶり(!)です。

今回は、娘が話せるようになった理由を考察してみます。

今現在場面緘黙症で悩んでいる方にとって、少しでも希望や参考になれば良いなと思います。

※場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・・・家庭ではごく自然に話すことができるのに、園や学校など特定の社会的場面で話せないことが続く症状で、不安症の一つ。学校教育では「情緒障害」に含まれており、合理的配慮の対象。

これまでの娘の状況

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現在小4の娘が、場面緘黙症になってから今までの症状の変化は以下の通りです。

  • 3歳後半~場面緘黙症になる。幼稚園では一言も話せず、体も思うように動かせなかった。発表会などではガチガチに固まり、引きずられて出ていた。1番症状がひどい時期は、園の中でトイレに行ったりや飲食することもできなかった。
  • 小1の頃は、学校で一日中声を出さずに過ごしていた。1年間の中で約2回のみ、クラスメイトと1対1の時に声を出して話したことがあった。給食はふつうに食べられていた。音楽会もガチガチに固まってしまい、移動もできなかった。
  • 小2になり特別支援学級にも在籍。支援級の先生と普通に話せるようになる。基本的に音楽や体育は支援級、その他は原級で授業を受けていた。原級の担任やみんなの前では話せなかったが、クラスメイトとは1対1や少人数なら話せるようになっていった。音楽会では、観客席からは見えないステージ横の部屋で演奏に参加した。移動は自分ででき、歌はステージ上で参加できた。
  • 小3では国語と算数を支援級で受けるようになる。支援級の先生やクラスの子とは普段通り話せるようになり、支援級ではみんなの前でも話せるようになる。音楽会ではこれまでのように固まることがなく、演奏も歌もステージ上で参加できた。原級で担任やクラスメイトとの間でトラブルがあり、3学期から原級の教室に行けなくなる。3学期はほとんどの時間を支援級で過ごした

こんなふうに、症状が徐々に良くなっていた娘ですが、小1~3までずっと同じだった原級の担任にあまり理解がなくずっと苦労していました。

ベテランの先生でしたが、場面緘黙症だけでなく発達障害などの特性に対して理解や知識があまりなく、「みんなと同じようにやること」にこだわる先生で、症状が悪化するような対応をされることもありました。

これについては、また別の記事で詳しく書きたいと思います。

そんな中いろいろとトラブルもあり、小3の3学期は原級の教室で話すどころか入ることもできなくなりました。ただ原級に1人だけ仲の良い子がいて、その子とだけは話せていました。

原級以外では、支援級や習い事など話せる場面がどんどん増えていました。

そのため、クラス替えしたら話せるようになりたいという気持ちも強かったんじゃないかなと思います。

 

小4になってからの変化

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小4になり、それまで3年間一緒だった担任とクラスが変わりました。

担任とクラスについては学校に事前に要望を伝えており、ほとんど聞き入れていただいていました。特性などに理解のある先生が良いと伝えたのですが、本当にいろいろと配慮してくださる先生で、娘も大好きです。仲の良い子とも同じクラスにしてもらえたので、最初から不安なく学校に行けました。

担任の先生とは学校が始まってすぐ娘と一緒に面談してもらったのですが、その時さっそく娘が先生とお話できました!(以前の担任は3年間1度も話せなかったのに😅)

さらに「一日中原級で過ごしたい!」と娘が言うので、4年生になってからは全て原級で過ごすようになりました(掃除と自立活動の時間だけは支援級)。

今の所毎日楽しく過ごせているようで、新しいお友達もたくさんできました。

休み時間はこれまでいつも支援級に行っていましたが、教室やグランドなどでお友達と遊んでいるようです。

さらに、毎朝の健康チェックで「はい、元気です」と言ったり自己紹介したりと、小さい声ではありますが、これまで一度もできなかったみんなの前で声を出すということもできました!

娘を見ていたらなんだかできそうだなと思っていましたが、先生に聞いて本当にびっくりしました。感動です(´;ω;`)

国語の音読はどうだろう?と気になっていたのですが、担任の先生がとても工夫してくださっていて、それぞれ別の部屋に行って音読し、タブレットで録音して提出する、という方法なのでこちらもできたようです👏

 

なぜ話せるようになったのか?

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①学校の環境の変化

これは本当にクラス替えと担任が変わったおかげです。担任の先生に理解があり、気が合う子も今回のクラスには多かったのが良かったです。

環境って本当に大事だと思いました。

娘本人もだいぶ前から本当は「話したい」という気持ちがあったのですが、これまでと同じ環境で突然話し出すのは難しかったです。

娘は小1~3までずっと同じ担任で、何度も担任本人とは話し合いましたがなかなか理解してもらえませんでした。結果小3になって娘が教室に入れなくなってしまい、そこで初めて担任を通さず校長先生と直接お話しました。転校も考えていましたが、校長先生や教頭先生が事態を重く受け止めてくれ、小4になってからのクラスや担任の要望を細かく聞いてもらえました。

もっと早く校長先生に話せば、もしかしたら担任が途中で変わるなどして状況が早く良くなっていたかもしれないなとも思います。

だから今担任の理解がなくて悩んでいる方は、担任本人にいくら話しても変わらなければ早めに校長先生に話した方が良いと思います(私はその前にスクールカウンセラーや教頭先生にも話しましたが、あまり状況は良くなりませんでした)。「これってモンスターペアレント?」って気にする人が多いですが(私もめちゃくちゃ気になりました)、理不尽な要求などではなく子どものために言うべきことを言うのは普通のことです。

私も今良い状況になったのは良かったですが、子どもにとってすごく大事な3年間だったのに・・・と思うと、もっと早く言えば良かったと後悔しています。

 

②学校以外で話せる場を増やしていった

あとは、クラス替えがあるまで原級で話すのは難しいと思っていたので、学校以外の場所でちょっとずつ話せる場を増やすようにしていました。

先生と1対1の習い事だけでなく大人数でやる習い事や、支援級よりも少し人数が多い民間の療育などに行き、話せる場が増えていました。

子どもが話せそうなのに学校の環境が整っていないという場合は、校長先生などに話して状況を改善してもらうのと同時に、学校以外の場で話せる場面をどんどん増やしていくのが良いと思います。

 

いまの気持ち

ハート

それにしても、こんなふうに話せるようになるまで5年以上かかりました。

振り返ると本当につらく大変だったけど(もちろん本人が1番)、今思えばあっという間だった気もします。

話せなくていつも私の後ろに隠れてベッタリくっついていた娘。少し前までは学校の登下校も、不安そうな娘の手をつないで付き添っていました。今では「ママは来ないで」と言われていますが(;_:)

子どもは確実に成長します。

本当に大丈夫なんだろうか?と不安になったことも先が見えなかったこともたくさんありますが、急にその時が来ます。

信じて焦らず、まわりと絶対にくらべず、その時の子どもの気持ちに寄り添いながら今を楽しむことが重要です。私自身これからも言い聞かせていきたいことです。

そして今現在の娘の急激なステップアップに喜ぶのと同時にとても驚かされていますが、私もこれまでとは違う関わり方をする必要があります。私もちゃんと成長していかないと!頑張ります✊

 

最後までお読みいただきありがとうございました☺

 

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