私の娘は今、公立の小学校に通っています。
娘は、場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)であり、HSC(Highly Sensitive Child)の気質がとても強いです(詳しくはこちら☟)。
今は通常のクラスに通っていますが、通常のクラスだと、娘に合った対応をお願いできないため、「支援級に入りたい」と学校に相談しているところです。
カウンセラーの方に相談
先日、外部のカウンセラーの方に相談に乗っていただきました。
今の娘の状況、支援級に入れたいと思っていることなどを話しました。
とても丁寧に、親身に相談に乗っていただきました。
まず、こういうサービスを誰でも受けられる(しかも当たり前のように無料で)というところが、日本の公立校のすごく良いところだなと思います。
本当に丁寧にサポートしてくれているなと思うし、カウンセラーの方もとてもいい方でした。
ただ、話していてどうしても、根っこの所というか、根幹の部分に、違和感を感じてしまいました。
これは、公立の学校関係者の方と話していて、いつも私が感じる違和感です。
言いたい事はわかるし、私が本音を言ってしまったら相手は困るだろうと思いその場では話を合わせているのですが、やはりモヤモヤします。
違和感の正体
その違和感の原因は、多分これです。
見ている方向、目指しているゴールが違う
先日も、カウンセラーの方がこのようなことを話してくださいました。
「支援級で少しずつ苦手をなくして、いずれ集団の中に入れるようにしていきましょう。」
「高校生になるまでには、集団の中にいられるようにしていきましょう。」
娘の事を本当にちゃんと考えてくれているし、すごくありがたいと思っています。
なんですが、やはり私には、こういった言葉をかけられることに違和感があるのです。
なぜ違和感を感じるのか。
それは、話を聞いていていつも、
発達障害や普通と違う個性を、無意識にマイナスな事として話しており、学校や会社で普通にみんなと同じことを同じようにできる人間にすることをゴールに設定している
ように聞こえるからだと思います。
優しく相談に乗ってくださるのですが、こちらが、普通に学校になじんほしい、なじむためにどうすれば良いか、と悩んでいる前提で話されているように思います。
そうではなく、この子に合う環境でもっと伸ばしてあげたい、この場所にこだわっておらず、合う環境があればそこに行かせたい、と思っている私にとっては、少し違うなと感じてしまうのです(そもそも私が相談する場所が違うと思うんですけどね💦)。
支援級の先生に相談したときも、「普通のクラスにいられたらいいのにね。やっぱりなじめないよね」というような事を切なそうな表情でおっしゃっていて、やはり何か私が考えているのとは違うな、と感じました。
皆さん親切に、「大丈夫ですよ」となぐさめるような感じで話していただくのですが、私自身、発達障害って特殊能力のようなもので、マイナスだとは思っていないので、話していてやはり違和感があります。
もちろん、人との関わりの中で生きていけるようにすることはとても大切ですが、それは、違い(個性)を認めながら生きるということです。大人が決めた、「この年齢の子どもはこういう感じが普通」というような基準に合わせて皆で生きていく、というのとは違います。
学校関係者の方と話していると、やはり「集団生活になじむ」ということを最終的な目標にされているので、そこからの引き算で今の状況を見ているような印象を持ってしまいます。
私は、「集団生活になじむ」ということをそれほど重要には思っておらず(私も学校でこれをたくさん教わり身に着けましたが、社会で役に立つ場面はそうありませんでした)、集団に自分を合わせていくよりも、自分の個性を思う存分発揮し、その延長で社会とつながっていけるようになってほしいと思っています。
集団になじむことを意識するより、自分の個性を大事に磨いていった先に、自分の居場所が必ずあると思っています。
そのため、学校も仕事も生き方も、様々な選択肢がある今、これまでのスタンダードな生き方、「集団生活になじむ」にわざわざゴールを設定する必要はないと思っています。
娘の個性を最大限に伸ばせるような環境を与えてあげたいなと常々思っていて、公立校の普通クラスはやはり昔とあまり変わらないし、でも支援級だったらどうなんだろう?と選択肢にありました。
色々話をしてみて、今さらながら、支援級はどちらかというと、得意を伸ばす場所というよりも、苦手をなくして最終的に集団の中で普通に過ごせるようになるための場所という認識なのかな、と理解しました(もちろん学校によって、先生によっても全然考え方は違いますし、個性を伸ばしてくれる側面もあると思っています)。
やはり最終的には普通のクラスに戻ることが目標、と先日のカウンセラーの方もおっしゃっていましたが、そうなるとやはり、相談しておいて偉そうに言うなという感じですが、ちょっと私とは見ている方向が違うのかな、と感じました。
まとめ
私としては、苦手な事に注目するよりも、得意な事を先にどんどん伸ばして自信をつけていくことが、その後苦手な事にも挑戦する心を持つことにもつながると思っているので、娘にはそのような環境に身を置いてほしいなと常々思っています。
そのため、公立校の支援級についても、もしかしたら少し違うのかな、という気持ちになってしまいました。
学校なんてどこに行ってても、結局はどうにかなっていくものなのかもな、という思いもあります。
でもやっぱり、子どもの教育について本音で語れない場所、自分と目指すゴールが違う場所で、一緒にこのまま子どもを育てていっていいのかな、大事な子どもの一日のほとんどの時間をそこに費やしてしまっていいのかな、という気もしています。
このちょっとした違和感。
見て見ぬフリせず、ちゃんと向き合ってみようと思います。
ということで、娘の学校について、これからどうしていったらいいのか。また色々考えたり、リサーチして頭を悩ませているところです。
支援級に入れるよう手続きはしていますが(来年度になってしまうそうですが)、今後、娘が毎日楽しく笑って過ごせて、私も違和感なく安心して送り出せるような環境にたどりつけるよう、じっくりと考え、見つけていきたいなと思っています。
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