実は最近、娘が少しずつ学校で話せるようになってきたのです。
3歳後半で場面緘黙症(ばめんかんもくしょう ※)になってから約4年間、幼稚園や学校でほぼ一言も話せなかった娘。
少し症状が良くなったり、また悪くなったり・・・。
4年間そんなことを繰り返しながら、表情が豊かになったり動けるようになったり皆と食事ができるようになったりすることはあっても、話せる事はほとんどありませんでした。
(この4年間で学校や幼稚園でお友達と話せたのは4~5回くらい、先生とはアメリカにいた頃話せた時期がありましたが、日本では幼稚園でも学校でも一度も話せたことがありませんでした)
そんな娘が、ここ1~2週間ほぼ毎日のように学校のお友達と会話をし、ついに支援級の担任の先生ともお話することができたのです✨
と言っても、話す回数は1日に2~3回くらいで、授業中や人が大勢いる時はこれまで通り話せません。
だけど、学校で声を出せるというだけで本当にすごい一歩です。
これまで毎日学校で一言も発さずに過ごす娘の事を思うと、学校に行かせることが心配で仕方ありませんでした。
この4年間は、いつ終わるかわからない暗いトンネルの中に娘といるような日々で、そこにようやく光が差し込んできたような感覚です。
もちろん、これで治ったというわけではないと思うし、今後また症状がひどくなってしまう可能性だってあります。
でも、ここ最近の娘の変化と成長は、私の想像を軽々と越えており驚きの連続です。
これまでは周りと比べて落ち込んだり、このままいつまで話せないのだろうと悲観的になってしまうことも多かったです。
でもとにかく自分のできることをして、ありのままの娘をちゃんと受け入れ続けていれば、自分で変化し成長していくのだなと改めて感じたので、ここに今の状況を記しておきたいと思います。
「変わりたい」という思いと「できるかも」の自信を大事に
今これを読んでくださっている方は、お子さんの場面緘黙症で悩んでいる方が多いと思います。
私自身も幼少期、今思うと場面緘黙症でしたが、その後自分で「変わりたい」と強く思い、変わることができました。
だから娘が場面緘黙症になったときも、不安はありましたが、娘にもいつかそういう時がくるだろうという確信もありました。
子どもが話せない事だけに注目してしまうと、自分自身も暗く悲観的になり、子どもをかわいそうと思ってしまいます。そうなると子どもにもそれは伝わってしまいます。
私もまだ道半ばですが、今思うのは、子どもがそこまで話したいと強く思っていないのに話すための取り組みをするよりも、お子さん自身がどんな姿になりたいかイメージし、頑張ればなれるかもしれないと自信を持てるように声掛けや態度で示していくことが大事なのではないかなということです。
本当に変わりたいと自分で強く思ったら、驚くほど急激に変わっていきます。
そう思えるよう、そしてその時に「できるかも」という自信を与えてあげられるように環境を整えていくことが私たち親にできることなのではないかと今思っています。
【症状の変化】これまでの娘と最近の娘
これを書いている今が2021年9月12日で、夏休みが終わって約3週間くらい経ちました。
夏休み後1週間くらいは、毎日「学校行きたくない」と言って暗い顔をして過ごした娘。
実は夏休み後に支援級の担任が変わってしまい、親友の子も学校を休んでしまっているという状況でした。
そんな中、クラスの女の子数名に意地悪されて大泣きした日があり、もしかしたら不登校になるかもしれないなとすら思っていました。
しばらく落ち込んでいたのですが、その翌週くらいから「今日学校で話せた」という日が続き、気付けば話せる子が増え、3日前に初めて先生(支援級の担任)と話せるようになったのです。
また、それまでは毎日登下校に私が付き添っていたのですが、「お迎え来なくていいよ」と私に言って一人で帰ってくるように。
たまに「今日は来てほしい」という日もありますが、ほぼお迎えなしでお友達と一緒に話しながら帰ってくるようになりました。
ここ2週間くらいの変化をまとめると次の通りです。
- 毎日登下校に私が付き添い(私が一緒だと下校時に同じ方向の友達と話すことができた)
- 下校時に話せる子と、学校の中で2~3回話せたことがあった(小1~小2の1学期までの間の合計で)
- クラスの男の子に不意に話しかけられて思わず「ん?」と声を出したことがあった
- それ以外の子とは全く話せなかった
- 学校の先生とは誰とも一度も話せたことがなかった
とこんな感じでした。
幼稚園の頃に比べるとだいぶ緊張がなくなり、給食も皆と一緒に食べられたり、体が動く場面もありましたが、学校の中で話すことはほとんどできませんでした。
そんな娘が、夏休み後はこんなふうに変化しました。
- 下校は私の付き添いなしで、お友達と一緒にお話ししながら帰ってくるようになった
- 下校が一緒の子と学校でも話せるようになった
- 学校以外では話せる子(家に行き来する友達)に、学校で休み時間「一緒に校庭で遊ぼう」と自分から話しかけ誘うことができた
- 「ありがとう」「ごめんね」を学校で友達に言えた(場面緘黙症になってすぐの頃私が挨拶をするように強く促してしまったことがあり、それが原因なのか、これまで特に挨拶が苦手で家でもほとんど言えなくなっていました)
- 下校が一緒ではなく、これまで一度も話したことのないクラスの女の子と学校で話すことができた(後で聞いたら、前からずっとその子と話したかったらしい)
- クラスの男の子2人に学校で話しかけられ、答えることができた(この男の子たちと話すのも初めて)
- 支援級の新しい担任の先生と話すことができた(まだ2回くらいだけど、他の先生も含め学校で先生と話せたのは初めて)
こんなふうに、ここ2週間くらいでものすごい変化がありました。
学校で話せるようになり、それが毎日になり、話せる人がどんどん増えて・・・というように、まるで自分でスモールステップを設定し、一つずつ達成しているような感じです。
なぜ急にこのような変化があったのか?
正直わかりません。
ちなみに私は最近何もやってないです。
それどころか、夏休み明けに支援級の担任が急に変わってしまい、「また一からやり直しか」とやる気を失くしてしまってさえいました。。
以前まではスモールステップの取り組みなども放課後や長期休みに学校に行ってやったりしてましたが、それも最近はずっとできていませんでした。
じゃあなぜなのか?
考えられる理由を挙げてみます。
場面緘黙症が改善してきた理由
娘の場面緘黙症が最近になって改善してきた理由として考えられるのは、
- 夏休みの過ごし方
- 2年生になってから支援級に入ったこと
- 2年生になってから親友ができたこと
の大きく3つかなと思っています。
夏休みの過ごし方
これまで長期休みは、休み明けに極度に緊張してしまうことを避けるため、何度か学校に行って慣らすようにしていました。
去年の夏休みは、クラスの担任に協力してもらって学校で私も一緒に遊んだりなど、何度か学校に行っていました。
しかし、今年の夏休みは一切学校のことは忘れて過ごしました。
学校にも用事がある時以外は一切行かず、チャレンジワークや休み明け前に慣らすようなこともしませんでした。
それは、支援級の担任が変わってしまったこともあり、私自身がちょっとやる気をなくしてしまい、学校に行ったりそれをお願いしたりするのが億劫だったというだけです。そして、娘も全然行きたそうじゃなかったからです。
学校の友達とも1回も会いませんでした。
それまでだったら、学校が始まったときに緊張しにくいよう、夏休み中も遊ぶ約束を取り付けていたと思いますが、これもしませんでした。
たぶん私自身も結構つかれてしまっていて、夏休みは学校の事を忘れて本当に休みたかったんだと思います。
夏休み中は、家族でいろいろな所へ旅行に行ったり、学校以外の家族ぐるみで仲の良い友達と遊んだり、ピアノや工作教室など学校以外の居場所で人と関わりながら過ごしたり・・・。
娘も、そして私自身も、無理をせず本当に心から楽しいと思うことだけをしました。
娘も私も、夏休み中ずっと話せない事を意識する機会がなかったし、素直で明るくておしゃべりな本来の娘で過ごすことができました。
私も学校がある時は、知らず知らず心配や不安でストレスを感じてしまっていたのですが、久しぶりに全くそういった学校のストレスを感じない日々を過ごせました。
そんなふうに私も娘もしばらくの間、話せないということを意識せず、娘も本来の自分で過ごせたのが良かったのかなと思います。
2年生になってから支援級に入ったこと
娘は小1の頃は普通級のみに在籍していて、小2の4月から支援級に入りました。
その支援級の担任が本当に大当たり(失礼な言い方ですが)で、とっても良い先生でした。
場面緘黙症のこともしっかり勉強してくださり、学校の中で娘が少しでも自分を出せるよう、様々な工夫をしてくださいました。
例えば、それまでいつも休み時間は一人ぼっちになってしまったり、皆と遊んでもずっと鬼ごっこの鬼をやらされてしまったりして辛い思いをしていたのですが、仲の良い友達と支援級の教室で遊べるよう配慮してくださいました。
また、掃除の時間、皆の前だと体が動かなくてうまく雑巾がけができない娘に、支援級の教室をクラスの女の子と2人で掃除するようにしてくださったりなど、色々考えて実行してくださいました。
そのおかげで、この1学期間でかなりリラックスして学校生活を送れるようになりました。
話せるようにはならなかったものの、「学校が楽しい」というようになったり、表情も明るくなって1年生の頃とくらべて明らかに状況が良くなりました。
「この担任とならもう少しで話せそうだな」と思っていた矢先に、その支援級の担任が変わってしまったのでかなり落胆しました。
でも、新しく変わった担任の先生も多分娘には合っていたのと、前担任の先生が1学期の間に積み上げてくださったことが形になって、2学期に話せることにつながったのかなと思います。
2年生になってから親友ができたこと
また、これも2年生になってからですが、親友ができたことも大きいと思います。
それは2年生になってから東京から転校してきた子で、その子も娘と同様少し繊細な所があり、転校してきてしばらくの間はあまり学校に来ることができませんでした。
ただ、娘といつの間にか毎日手紙のやり取りをするようになり、その子も毎日学校に来れるようになって、学校ではいつも一緒にいるようになっていました。
それまでもクラスの女の子は仲良くしてくれる子もいましたが、わりと元気な子が多く娘と似たタイプの子はいなかったのと、娘以外はずっと地元で生まれ育った子が多く、そこまで合う子はいなかったのかなと思います。
この子と仲良くなってからは、本当に表情が明るくなったし、学校も劇的に楽しくなったようでした。
1学期の間は、この子とも手紙のやり取りやジェスチャーのみでやり取りしていたのですが、この親友ができたことで「話したい」という気持ちがすごく強くなったんじゃないかなという気がします(この子とも今は学校で話せるようになりました!)。
まとめ
こうやって見てみると、結局私がいろいろやらなくても良かったのかなという気もしてきますが。。
多分それまでに学校にお願いしてきた対応や学校以外でやってきたことが積み重なって、今少しずつ症状が改善してきているのかなと思います。
娘の状況を見つつ、その時一番良いと思う対応をしていったのが今の変化につながったのかなという気がします。
これからまた症状がどうなっていくかはわかりませんが、どうなったとしても悲観せず、娘の力を信じてその時その時できることを精一杯やっていきます。
最後までお読みいただきありがとうございました!