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学校について思うこと

学校

 

子どもが幸せに生きていくためには、家庭はもちろん、一日の大半を過ごす学校もとても重要だと思っています。

 

私は、自分がずっと受けてきた日本の教育の良い面を知りながらも、自分の学生時代や、教員免許を取得するために行った教育実習を通して、学校に対して疑問に感じる部分も多くありました。

 

そのため、娘の幼稚園や小学校を選ぶ際は、国内外でトータル17カ所以上実際に見学し、どんな幼稚園・学校が良いのだろうかとかなり悩み、真剣に考えてきました。

 

そして今も、娘の状況を見ながら、リサーチしたり考えたりし続けています。実際に私が見た幼稚園・学校の情報や、今子どもを学校に通わせていて感じることなどをこのブログで書いていき、子どもの学校や教育について悩んでいる方の参考に少しでもなってくれたり、学校がより子どもたちにとって良い場所になっていくきっかけを、わずかでも作れればいいなと思っています。

自分の学校生活をふりかえって

自分が保育園・小学校・中学校くらいの頃の事を思い返してみると、客観的に見たら、わりと要領よく過ごしてきたタイプだと思います。

これと言って困ったことはなかったし、友達もいたし、むしろ周りから見たら学校生活をすごく楽しんでいるように見えていたと思うし、実際楽しんでいた部分もあります。

 

ただ、疑問に思う部分はその頃からたくさんあって、大人になってから、「学校に通っていたあの長い時間は一体何だったんだろう?」と思わされることもたくさんありました。

 

一番古い記憶で、私が「こんなことして何か意味あるのかな」と感じたことを覚えているのが、保育園のたぶん年長の頃に何かの発表会で、保護者の前で一人ずつ将来の夢を発表する、というものです。

 

私はその頃、周りに「こうなりたい」と思えるような大人は一人もおらず、全てやらされるままやっていたので、やってみたい、楽しい、と思えるような事も毎日の保育園生活の中では見つからず、将来の夢がありませんでした。

私が発表するのは最後の方だったので、とりあえずみんなが何を言うか聞いていました。すると女の子は「お花屋さん」と「看護婦さん」が多く、どうやら「看護婦さん」と言った方が大人の反応が良さそうだという事に気付き、私も「私は大きくなったら看護婦さんになりたいです!」と思っても無い事を言うことにしたのです。案の定、先生も親も満足気だったのを覚えています。

 

書いていて嫌な子どもだな~と思いますが、意外とそう思ってた子他にもいたんじゃないかと思います。そして大人になった今、こういう気持ちを忘れずに、子どもの本心に気付ける大人でいたいなと思っています。

 

その頃からずっと、私にとって学校生活は

  • 周りに合わせること
  • 言われたことを言われたとおりにやること
  • 先生や親が求めていることにこたえること

の練習でした。

 

作文なども、「思ったことを自由に」と言われても、結局は大人が子どもに求めるような内容から外れたら変な顔をされるので、こう書けば子どもらしいと喜ばれるだろう、という基準で書いていました。

それもある意味必要なことなのかもしれないし、私がもともと考えすぎる性格で、他者の評価を気にして生き過ぎていた部分もあると思いますが、学校の授業の中で、自分がどう思うかを本音で話したり、書いたりするようなことはほとんどなかったと思います。

 

そして、社会に出てから初めて、本当に自由な発想や自分だけの個性を求められた時に、自由に考えることがうまくできず、自分が何者かもよくわかっていないという事に気付きました。長い学校生活で、周りに合わせることや空気を読むことばかりが身にしみついてしまっていて、自分の内面に目を向けたことが全然なかったのです。

 

そして、このままじゃいかんと、学校生活で積み上げてきたそういった思考をいったんリセットして、いろいろ本を読んだりとかして、30過ぎてからやっと自分と向き合うことができ、今まで自分は何者かまったくわからずに、他人軸でずっと生きてきたなと気付くことができたのです。

 

他の人はもっと早く気付くかもしれないし、同じように学校に通っていても、ちゃんと自分自身を見つめ、本当に自分のやりたいことを見つけていける人もいると思います。ただ、私は、もっと子どものうちから、他人との比較の中だけではなく、じっくり自分自身と向き合い理解する時間や、広い世界を知る機会があったら良かったなと思うわけです。

これからの学校に求めること

今の社会やこれからの社会では特に、「周りに合わせること」「先生や親が求めていることにこたえること」「決められたことを決められたとおりにやっていくこと」の練習ばかりしても、幸せに生きていくことは難しいと思っています。

 

また、一人ひとり得意な事苦手な事も違うし、ペースも違うのに、同じ年齢の子たちでみんな同じ授業を受けなければならず、それではペースがゆっくりな子にとっても速い子にとっても、ストレスが溜まるだろうなと思いますし、その子の能力を最大限伸ばすことができているのかは疑問です。

一日のほとんどの時間をそのように過ごし、帰ってきたらさらに宿題や習い事。そのような生活で、自分と向き合うことなどなかなか難しいのではないかと思います。

 

私は大学生の頃に教育実習に行きましたが、その中で、学校に来れなくなってしまう子や、学校に通う中で心の病を抱えてしまう子を見ましたし、今も学校が合わない子たちはたくさんいます。むしろぴったり合う子はいないのではないかと思います。

子どもが幸せに生きていくための学校なのに、逆に重荷になり、学校に追い詰められてしまう子たちがたくさんいます。そんな子どもが、「特別な支援が必要な子」だというわけではなく、学校の在り方に問題があると思っています。学校が、一人ひとりの子どもにちゃんと対応しきれていないということだと思います。

 

実際には、学校にずっと行けていなくても社会で活躍している人はいっぱいいますし、アメリカではホームスクーリングも一般的に認められています。日本でも、あえて学校に毎日行かずホームスクーリングをする人たちも増えてきていますが、なかなか現状誰でもできるというわけではなく、やりたいと思っても親の負担が大きかったり、世間からもあまり認められていなかったりで、簡単にはできません。

 

そのため現在は、義務教育の期間は週5日朝から夕方くらいまで学校に通い、同じ学年の子たちとの集団生活の中で学習していくというのがスタンダードだと思います。そんなふうに毎日ほとんどの時間を学校で過ごしているのに、学校が自分のペースに合っていなかったり、能力を最大限に伸ばし切れていなかったら、とてももったいないなと思います。

今、色々なタイプの学校もどんどん増えてきていますが、学び方の選択肢がもっとあれば良いなと思います。

 

そして学校の先生たちも、毎日業務量が多くすごく大変そうだなと思います。いくら頑張ってくださっていても、なかなかクラス全員一人ひとりにまで目を配ることは物理的に難しいと思います。

学校の在り方だったり仕組みが変わり、選択肢が増えていき、子どもたちも何の負担なく教育が受けられて、先生たちも働きやすくなれば、もっともっと、社会も生き生きするのではないかと思います。

 

どうやって子どもを学校に合わせていくか、そのための方法について書かれているものもよくありますが、私は、子どもが学校に合わせるのではなくて、学校自体が、これからの社会やそれを作っていく子ども達に合わせてもっと変わっていく必要があると思っています。

そして、一人ひとりがもっと自由に自分に合った方法を選択し、教育を受けることができたらいいなと思っています。

 

どんな学校が良いのか、どんな方法が果たして自分の子どもに合っているのか、なかなか答えは出ないしこれからも考え続けると思います。でも、考える事をやめず、その時ベストだと思った事を選択していこうと思っています。

 

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